田代 茂樹 院長(健和会歯科クリニック)のインタビュー

健和会歯科クリニック 田代 茂樹 院長

健和会歯科クリニック 田代 茂樹 院長 SHIGEKI TASHIRO

神奈川県出身。1994年に綱島に「田代歯科クリニック」を開院。その後、1998年に移転。2023年に医療法⼈化し、医療法⼈健和会 健和会⻭科クリニックに名称を変更。

別の職業から歯科医に転身

もともと医療とは別の仕事をしていました。いったん大学を卒業してから改めて歯学部に通い直した、という経緯があります。前の会社を辞めるときにどうしようかなと、当時すでに結婚していたので夫婦2人で考えたときに妻の実家が医療系でしたから、医療系も職業としていいかなと。今思うと安直ですけど、20代でまだ若かったですし、不安もそんなになかったように思います。綱島に開業したのは、大学が慶應で東横線に馴染みがあったから。東横線沿線で探していて、最初は綱島の別の場所でしたが平成10年に今の場所に移転。開業してから数えると30年近くになります。綱島が新開発されたのがちょうど私が開業したころ、30年近く前だからそのときの建物がまた新しくなっていたりしますし、また街が変わっていくのかなと楽しみなところでもあります。

開院当初から予防に注力

お子さんから会社員の方、高齢者まで特にどの年齢層が多い、というわけではなくまんべんなくいらしていただいていますね。開院当初から、予防に力を入れているのが特徴だと思います。当時はまだ予防歯科をやっているクリニックは少なかったですが、歯を治していくよりも自分の持っている臓器を維持していくことの方が大切なのかなと。院内も予防と治療、それぞれ診療ブースも分けています。今は当たり前かもしれませんが、やっぱり予防って病気じゃないですからね。当院は予防でいらっしゃる患者さんが半分以上を占めているので、病気の人と同じというのはちょっと嫌だなと思われるかなと。導線も分けましたし、一つ一つ区切ったブースにしています。予防と治療、二つの歯医者さんが共存しているようなイメージです。予防に関しては毎日50~60人くらいの患者さんがいらしています。予防に関しては衛生士に担当してもらい、何か問題があるときには僕らがしっかりと診ますが、問題なく経過していれば、そのまま衛生士がクリーニングに入る、という流れをとっています。

歯科医になった息子とともに診療に

息子も歯科医師になり、2023年の秋ごろから週に数日ですが一緒に働いています。歯科医になると聞いたときはうれしかったですね。実は、息子も大学生のとき。ちょうど就職活動のタイミングで歯科医になりたいと、改めて歯学部に。僕と同じ道をたどっていくとは思いもよらなかったですが、どこか似てしまうのかなと。歯科医になるなら、うちで採用するか面接するよと、ちゃんと採用面接を行ったんですよ(笑)。診療中はあんまり親子のような関係性ではないですね。僕も彼のことをちゃんと経験のある歯科医師として接しています。患者さんには安心してもらえるのかなとは思いますね。ちゃんと後継者がいるということは、このクリニックはまだ続いていくんだなと感じるでしょうから。

しっかりとした説明がモットー

患者さんには、どんなことも丁寧に説明をするのが自分のモットーです。当たり前のことですが、やっぱり納得いただいてから治療したいですし、きちっと説明するということはすごく大切にしています。開業して30年近く経ちますから、長く通ってくださる方も多くなりました。子どものころから通ってきてくれている方が自分のお子さんを連れてきたりして「もうそんなに大きくなったの?」とびっくりすることもありますね。また、当院の衛生士のなかには元患者さんがいるんですよ。当院に通っているときに衛生士っていい仕事だなと思って目指したと聞きました。それはすごくうれしかったですね。

困ったときに頼りになる存在で在りたい

街の中に当たり前に存在する町医者で在りたいといつも思っています。病気のときに真っ先に頭に思い浮かぶようなそういう関わり方をしたいですね。クリニックでの治療はもちろんですが、校医などの学校などの仕事もそうですよね。医療機関というのは、地域の資源ですから。資源である以上、それなりの責務はきっちりと果たしていきたいですし、貢献していきたいと考えています。

 

※上記記事は2024年8月に取材したものです。
時間の経過による変化があることをご了承ください。

健和会歯科クリニック 田代 茂樹 院長

健和会歯科クリニック田代 茂樹 院長 SHIGEKI TASHIRO

健和会歯科クリニック 田代 茂樹 院長 SHIGEKI TASHIRO

  • 出身地: 神奈川県横浜市
  • 好きな映画: オールジャンル

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